小山田信茂 | 郡内の領主。武田家滅亡のとき勝頼を岩殿城に迎えず、織田方に処刑された「裏切り」の武将

小山田信茂のイラスト(イメージ)

おやまだ のぶしげ

地域甲信越(甲斐・郡内)
所属勢力・属性武田氏(郡内の国衆)
大名家小山田家
家紋不詳
主武器投石・槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ国衆の将

小山田信茂(おやまだ のぶしげ)は、甲斐の郡内(山梨県東部の都留郡)を治めた小山田家の当主で、武田信玄・勝頼に仕えた。天文9年(1540年)ごろに生まれ、天正10年(1582年)に亡くなった。武田家が滅びるとき、頼ってきた勝頼を受け入れずに見捨てたことで、「裏切り者」として知られる。

3行でわかる小山田信茂
  • 郡内を治めた国衆・小山田家の当主で、武田家の重臣格だった
  • 三方ヶ原の戦いでは投石隊をひきいたと伝わる
  • 武田家滅亡のとき勝頼を岩殿城に迎えず、そのあと織田方に処刑された
目次

郡内の小山田家

小山田家は甲斐の東部・郡内を治める独立性の強い国衆で、武田家とは婚姻で結ばれた同盟者に近い関係にあった。信茂は武田家の重臣として信玄の戦いに加わった。

元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いでは、石を投げる「投石隊」をひきいて徳川軍を攻めたという話が伝わる。

勝頼を見捨てる

天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康の軍が武田領に攻めこむと、武田家の家臣たちは次々に寝返った。勝頼は新府城を捨て、信茂の岩殿城(山梨県大月市)に向かおうとした。

ところが信茂は途中で勝頼を拒み、城に迎え入れなかった。行き場を失った勝頼は天目山のふもとの田野で自害し、武田家は滅んだ。

織田方による処刑

信茂は織田方に降ろうとしたが、織田信忠は主君を見捨てた不忠を責め、信茂を甲斐善光寺で処刑した。

信茂の行動は長く「裏切り」として語られてきたが、郡内の領民を戦火から守るための選択だったとする見方もある。

小山田信茂をめぐる人物

  • 主君:武田信玄/武田勝頼
  • 居城:岩殿城(郡内)
  • 処刑を命じた相手:織田信忠
  • 同じく武田家を離れた武将:穴山信君(梅雪)/木曽義昌

ゆかりの地

  • 岩殿城跡(山梨県大月市):信茂が勝頼を迎えなかった城
  • 甲斐善光寺(山梨県甲府市):信茂が処刑された地
  • 景徳院(山梨県甲州市):勝頼が最期を迎えた田野の地の寺
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