あさくら そうてき
| 地域 | 北陸(越前) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 朝倉氏(一門・総大将) |
| 大名家 | 朝倉家 |
| 家紋 | 三つ盛木瓜 |
| 主武器 | 采配 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 老練の名将 |
朝倉宗滴(あさくら そうてき)は、越前の戦国大名・朝倉家の一門で、朝倉家の軍の総大将として活躍した武将である。本名は朝倉教景。文明9年(1477年)に生まれ、弘治元年(1555年)に79歳で亡くなった。朝倉家の三代の当主を支え、九頭竜川の戦いで一向一揆の大軍を破った。
3行でわかる朝倉宗滴
- 朝倉家を興した朝倉孝景(敏景)の末子で、三代の当主を支えた
- 九頭竜川の戦いで、加賀などの一向一揆の大軍を破った
- 戦の心がまえを語った『朝倉宗滴話記』が残る
目次
朝倉家の大黒柱
宗滴は、越前の朝倉家を戦国大名に育てた朝倉孝景(敏景)の子として生まれた。当主にはならなかったが、甥の貞景、その子の孝景、さらに孫の義景の三代にわたり、軍の総大将として朝倉家を支えた。
九頭竜川の戦い
永正3年(1506年)、加賀・越中・越前の一向一揆の大軍が越前に攻めこんだ。宗滴は九頭竜川(福井県)をはさんで一揆軍と戦い、これを打ち破った。一揆軍は30万ともいわれるが、この数は誇張と考えられている。
その後も宗滴は、近江や美濃、加賀などへ出陣し、生涯にわたって戦い続けた。
『朝倉宗滴話記』
宗滴の言葉は、家臣によって『朝倉宗滴話記』にまとめられた。「武者は犬とも言え、畜生とも言え、勝つことが本にて候」という言葉が有名で、どんなに非難されても勝つことが武士の本分だという考えが記されている。
弘治元年(1555年)、加賀の一向一揆を攻める陣中で病にかかり、79歳で亡くなった。宗滴の死後、朝倉家は優れた指導者を失い、やがて織田信長に滅ぼされることになる。
朝倉宗滴をめぐる人物
- 父:朝倉孝景(敏景)
- 支えた当主:朝倉貞景/朝倉孝景/朝倉義景
- 戦った相手:一向一揆
ゆかりの地
- 一乗谷朝倉氏遺跡(福井市):朝倉家の本拠
- 九頭竜川(福井県):一向一揆の大軍を破った戦場


朝倉義景
織田信長







































