みむら もとちか
| 地域 | 中国(備中) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 三村氏(備中の戦国大名) |
| 大名家 | 三村家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 意地を貫いた武将 |
三村元親(みむら もとちか)は、備中(岡山県西部)の松山城を本拠とした戦国大名である。生まれた年ははっきりしない。天正3年(1575年)、毛利家との戦い(備中兵乱)に敗れて自害した。父・三村家親を暗殺した宇喜多直家を深く恨み、毛利家が宇喜多家と手を組むと、毛利家から離れて織田信長についた。
3行でわかる三村元親
- 父・三村家親を宇喜多直家に鉄砲で暗殺された
- 毛利家が宿敵の宇喜多家と手を組んだため、毛利家に背いて信長と結んだ
- 毛利軍に松山城を攻め落とされ、自害した(備中兵乱)
目次
父の暗殺
三村家は毛利家に従いながら、備中を中心に勢力を広げた。ところが永禄9年(1566年)、父の三村家親が、美作に出陣中に宇喜多直家の放った刺客に鉄砲で撃たれて亡くなった。鉄砲による暗殺の早い例として知られる。
元親は父の仇を討つため宇喜多家を攻めたが、永禄10年(1567年)の明善寺合戦で大敗した。
毛利家から離れる
天正2年(1574年)、毛利家は宇喜多直家と手を組んだ。父の仇と手を結んだ毛利家に、元親は従うことができなかった。元親は毛利家から離れ、織田信長と結んだ。
備中兵乱と最期
毛利家は小早川隆景らの大軍で三村家の城を次々に攻めた(備中兵乱)。天正3年(1575年)、本拠の備中松山城も落ち、元親は城を出たのち自害した。三村家は戦国大名としての力を失った。
三村元親をめぐる人物
- 父:三村家親
- 父の仇:宇喜多直家
- 戦った相手:毛利輝元/小早川隆景
- 結んだ相手:織田信長
ゆかりの地
- 備中松山城(岡山県高梁市):元親の本拠。現存天守がある山城


宇喜多直家
小早川隆景
毛利輝元
織田信長







































