しょうげんおう
| 地域 | 琉球 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 琉球王国 |
| 大名家 | 琉球王国 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 王冠・数珠 |
| 衣装・甲冑 | 華美王朝衣装 |
| 武将タイプ | 「サバクイ(温厚)」・徳治 |
尚元王(しょうげんおう)は琉球王国・第二尚氏王統の第5代国王である。尚清王の次男で、1556年に即位した。1562年に明の冊封を受け、薩摩の島津氏とも友好を保とうとした。1571年には奄美大島へ自ら兵を率いて出向いている。
目次
即位をめぐる対立
尚元王は1528年、第4代・尚清王の次男として生まれた。神号は日始按司添(てぃだはじめあじそえ)とされる。
1555年に尚清王が没すると、王位継承をめぐって争いが起きた。琉球新報の沖縄用語辞典は、尚元が病弱であったため即位の際に三司官(王府の最高職)らの反対にあったと記す。尚元は翌1556年に即位した。後世の沖縄芝居『チーグー王』は、この継承の事件を題材にしたとされる。
明の冊封と島津氏
琉球国王は明の皇帝から冊封(国王として認める儀礼)を受け、朝貢貿易を行った。尚元王は1562年に明の冊封使を迎えて冊封を受けている。
一方で、北の薩摩島津氏との関係も重みを増していた。日本人名大辞典は、尚元王が島津氏との友好に努めたとする。ただし島津氏の使僧への応対をめぐって摩擦が生じたこともあったとされる。
このころ東シナ海では倭寇の活動が激しく、父の尚清王の代には那覇港の防備が強められていた。琉球にとって、明との関係と日本側勢力との関係をともに保つことが課題であった。
奄美大島への親征
父・尚清王の代にも奄美大島では反乱が起き、鎮圧されていた。1571年、尚元王は入貢を拒んだ奄美大島へ自ら兵を率いて出向き、別の首長を立てた。国王自らの出征は異例である。
尚元王は翌1572年に45歳で没した。王位は子の尚永王が継いだ。
ゆかりの地
- 首里城(沖縄県那覇市):琉球国王の王城
- 玉陵(沖縄県那覇市):第二尚氏王統の陵墓















