香西清長 | 香西家の家督争いで千虎丸を支持した一族

香西清長の肖像

こうざい きよなが

地域四国
所属勢力・属性讃岐国人
大名家香西家
家紋―
主武器大槍
衣装・甲冑実戦具足
武将タイプ勇猛・武骨

香西清長は讃岐の国人・香西氏の一族で、当主香西佳清の同族とされる。佳清の弟・千虎丸の家督相続を支持して佳清派と対立した。子の清正が佳清派の重臣を殺害した事件ののち、父子は備前へ退去させられたと伝わる。

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讃岐の香西氏

香西氏は讃岐国香川郡を本拠とした国人である。室町時代には管領細川氏の有力な家臣で、讃岐の香川氏・安富氏などと並ぶ存在であった。本拠は勝賀城、のちに海沿いの藤尾城とされる。

戦国末期の当主は香西佳清である。佳清は元亀元年(1570)に疱瘡で失明し、「盲目の大将」と呼ばれた。天正4年(1576)に織田信長に従い、天正10年(1582)には長宗我部氏の侵攻を受けて臣従した。

家督をめぐる対立

香西清長は、この佳清の同族である。佳清の弟とする説明も見られるが、佳清の弟は千虎丸という別人である。

佳清の家中では、千虎丸を跡継ぎに立てようとする動きがあり、清長はこれを支持したとされる。清長の子・清正は、佳清派の新居資教と植松資正を成就院で殺害したという。これを成就院事件と呼ぶ。のちに植松氏の報復で佳清派が優勢となり、清長父子は備前国へ退去させられたと伝わる。

伝わる事績の性格

清長について伝わる話は、この家督争いにほぼ限られる。長宗我部軍との戦いで部隊を率いて手柄を立てたとする話は、資料で確認できない。

香西氏の内紛の経緯は、後世に香西氏の子孫が編んだ軍記などに多くを負っており、細部の信頼性には注意が要る。

ゆかりの地

  • 勝賀城跡(香川県高松市):香西氏の山城
  • 藤尾城跡(香川県高松市香西本町):香西佳清の居城
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