ほうじょう うじまさ
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 後北条氏第4代 |
| 大名家 | 北条 |
| 家紋 | 三つ鱗 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 当世具足 |
| 武将タイプ | 堅実・誤算 |
北条氏政は後北条氏第4代当主で、北条氏康の子として家督を継いだ。父の代に築かれた関東における覇権をさらに広げ、後北条氏の版図は上野・下野にまで及び、最大版図を実現した。
後北条氏の全盛と四代目
北条氏政は、関東に覇を唱えた戦国大名・後北条氏の四代目当主である。父は、河越夜戦の勝利などで後北条氏の全盛期を築いた名将・北条氏康であった。氏政は、その偉大な父から関東最大級の版図を受け継ぎ、後北条氏の勢力をさらに広げていく責務を担った。相模・武蔵・伊豆をはじめとする広大な領国を治める、東国屈指の大名であった。
同盟の変転のなかで
氏政の時代、後北条氏は甲斐の武田氏、越後の上杉氏との間で、結んでは破る複雑な同盟関係のなかにあった。甲相駿三国同盟の崩壊や、上杉との越相同盟、そして再びの武田との同盟と手切れなど、関東・東海の情勢は目まぐるしく変転した。氏政は、こうした強豪に囲まれた情勢のなかで、後北条氏の利益を守るべく舵を取り続けた。
領国支配の充実
氏政は、武力による拡大だけでなく、検地の実施や税制の整備など、領国支配の充実にも力を注いだ。後北条氏は、関東の広大な領国を統治するための緻密な仕組みを整えたことで知られ、氏政の代にその体制はさらに発展した。武と治の両面において、後北条氏は東国に確固たる基盤を築き上げていた。
豊臣秀吉との対立
天下統一を目前にした豊臣秀吉に対し、氏政は容易に臣従しようとせず、次第に対立を深めていった。関東に独自の勢力を築いてきた後北条氏にとって、天下人への従属は簡単に受け入れられるものではなかった。しかし、この判断が、やがて後北条氏を存亡の危機へと追い込むことになる。
小田原征伐と最期
天正十八年(1590)、秀吉は大軍を動員して小田原征伐を敢行した。難攻不落を誇った小田原城も、天下の大軍による包囲の前についに開城する。敗れた氏政は責任を問われて切腹し、五代にわたって関東に君臨した後北条氏は滅亡した。関東の覇者の悲劇的な最期は、天下統一という時代の大きな流れの帰結を象徴する出来事であった。


























