おくだいら のぶまさ
| 地域 | 東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 奥平氏 |
| 大名家 | 奥平氏 |
| 家紋 | 丸に三ツ割り丸た |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 赤糸威具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・不屈 |
長篠城主。武田勝頼の1万5千の大軍に対しわずか500で長篠城を死守。織田・徳川連合軍の勝利と勝利の立役者となった。
目次
長篠城を死守した・奥平信昌
奥平信昌(おくだいら のぶまさ)は、三河の国人・奥平氏の武将で、長篠城主です。武田勝頼の一万五千の大軍に対し、わずか五百の兵で長篠城を死守し、織田・徳川連合軍の歴史的勝利の立役者となりました。
徳川への帰属
奥平氏は、今川・武田・徳川の勢力が交錯する奥三河の国人でした。奥平信昌は、父・貞能とともに徳川家康に帰属し、その信任を得て長篠城を任されます。信昌は、家康の娘(亀姫)を妻に迎えるという厚遇を受けました。
長篠城の攻防
天正3年(1575年)、武田勝頼の一万五千の大軍が、奥平信昌の守る長篠城に押し寄せました。城内の兵はわずか五百。絶望的な兵力差のなか、信昌は城兵を鼓舞し、必死の籠城戦を戦い抜きます。足軽・鳥居強右衛門の決死の使者などにも支えられ、城は持ちこたえました。
長篠の戦いの勝利
信昌が長篠城を死守して時間を稼いだことで、織田信長・徳川家康の連合軍が到着し、長篠の戦いで武田軍を打ち破りました。奥平信昌の奮戦が、この歴史的な大勝利の礎となったのです。奥平信昌の生涯は、わずか五百で武田の大軍から長篠城を守り抜いた、その不屈の武勇を今に伝えています。
ゆかりの地を、実際にめぐるなら
姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」に、行程・所要時間・駐車場までまとめた実走コースがあります。
家康の岡崎と長篠の戦い ― 田原城・西尾城から長篠城・設楽原・野田城へ|都内発 車1(車・1泊2日)



















