前田利常 | 加賀藩三代藩主。わざと鼻毛を伸ばして幕府の警戒をかわし、加賀百万石の文化を育てた

前田利常のイラスト(イメージ)

まえだ としつね

地域北陸(加賀・能登・越中)
所属勢力・属性前田氏(加賀藩主)
大名家前田家
家紋加賀梅鉢
主武器槍
衣装・甲冑具足・裃
武将タイプ知恵者の藩主

前田利常(まえだ としつね)は、前田利家の四男で、加賀藩の三代藩主(二代とも数える)である。文禄2年(1594年)に生まれ、万治元年(1658年)に66歳で亡くなった。兄の前田利長の養子となって家を継ぎ、二代将軍・徳川秀忠の娘を妻とした。幕府に警戒されないよう、わざと鼻毛を伸ばして愚かなふりをしたという話が有名である。

3行でわかる前田利常
  • 前田利家の四男で、兄・利長の養子となって加賀藩を継いだ
  • 徳川秀忠の娘・珠姫を妻とし、大坂の陣にも出陣した
  • 鼻毛を伸ばして愚かなふりをしたと伝わり、工芸などの加賀文化を育てた
目次

加賀藩を継ぐ

利常は前田利家と側室・千代保(寿福院)の子として生まれた。兄の前田利長に男子がいなかったため養子となり、慶長10年(1605年)に13歳で家督を継いだ。徳川秀忠の娘・珠姫を妻にむかえ、前田家と徳川家の結びつきを強めた。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では大軍をひきいて出陣し、真田幸村の守る真田丸を攻めたが、大きな損害を受けた。

鼻毛の殿様

加賀藩は全国一の大きな藩で、幕府からつねに警戒されていた。利常はわざと鼻毛を伸ばしたままにして、愚かな殿様のふりをしたと伝わる。家臣が注意すると、「これで加賀・能登・越中の三国を安く保てるなら安いものだ」と答えたという。

加賀の文化

利常は工芸や学問を大いに奨励し、京から職人や文化人を招いた。今に伝わる加賀蒔絵や九谷焼などの加賀の工芸文化は、利常の時代に基礎が築かれた。晩年は小松城に隠居し、万治元年(1658年)に亡くなった。

前田利常をめぐる人物

  • 父:前田利家
  • 母:千代保(寿福院)
  • 兄・養父:前田利長
  • 妻:珠姫(徳川秀忠の娘)
  • 義父:徳川秀忠

ゆかりの地

  • 金沢城(石川県金沢市):加賀藩の本拠
  • 小松城跡(石川県小松市):利常が晩年を過ごした城
  • 那谷寺(石川県小松市):利常が再興した寺
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