村上義清 | 武田信玄に二度勝った北信濃の雄。上田原と砥石崩れで信玄を破り、のちに上杉謙信を頼った

村上義清のイラスト(イメージ)

むらかみ よしきよ

地域甲信越(北信濃)
所属勢力・属性村上氏(北信濃の戦国大名)
大名家村上家
家紋丸に上の字
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ信玄を破った猛将

村上義清(むらかみ よしきよ)は、北信濃の葛尾城を本拠とした戦国大名である。文亀元年(1501年)に生まれ、元亀4年(1573年)に73歳で亡くなった。武田信玄に上田原の戦いと砥石崩れの二度にわたって大勝したことで知られる。のちに信玄に追われて越後の上杉謙信を頼り、これが川中島の戦いのきっかけとなった。

3行でわかる村上義清
  • 北信濃の葛尾城を本拠に勢力をふるった
  • 上田原の戦いと砥石崩れで、武田信玄に二度大勝した
  • 真田幸隆の調略で砥石城を奪われ、越後の上杉謙信を頼った
目次

北信濃の雄

村上家は北信濃の名門で、義清は葛尾城(長野県埴科郡坂城町)を本拠に、北信濃の東部を支配する有力な戦国大名となった。

信玄に二度勝つ

天文17年(1548年)、信濃に攻めこんだ武田信玄と上田原(長野県上田市)で戦い、武田軍を打ち破った。武田家の宿老・板垣信方と甘利虎泰が討死し、信玄自身も傷を負ったと伝わる(上田原の戦い)。

天文19年(1550年)には、村上方の砥石城を攻めた武田軍を、城兵とともに挟み撃ちにして大きな損害を与えた。武田軍の死者は千人にのぼったといわれ、「砥石崩れ」と呼ばれる。

越後へ

しかし翌天文20年(1551年)、武田方の真田幸隆の調略によって、砥石城はあっけなく奪われた。家臣たちが次々と武田方に寝返り、義清は天文22年(1553年)、葛尾城を捨てて越後の上杉謙信(長尾景虎)を頼った。

謙信は義清の旧領を取り戻すため信濃に出兵し、ここから武田と上杉の川中島の戦いが始まった。義清は信濃に戻ることなく、越後の根知城で亡くなった。

村上義清をめぐる人物

  • 戦った相手:武田信玄
  • 砥石城を奪った相手:真田幸隆
  • 頼った相手:上杉謙信
  • 子:村上国清(山浦景国)

ゆかりの地

  • 葛尾城跡(長野県埴科郡坂城町):義清の本拠
  • 砥石城跡(長野県上田市):砥石崩れの舞台
  • 上田原古戦場(長野県上田市):信玄を破った戦場

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