やぎゅう むねよし
| 地域 | 近畿(大和・柳生) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 柳生氏(大和の国衆)→ 剣術家 |
| 大名家 | 柳生家 |
| 家紋 | 二蓋笠(柳生笠) |
| 主武器 | 刀 |
| 衣装・甲冑 | 肩衣・袴 |
| 武将タイプ | 剣聖 |
柳生宗厳(やぎゅう むねよし)は、大和の柳生庄(奈良市柳生町)の国衆で、柳生新陰流の祖とされる剣豪である。出家後の石舟斎(せきしゅうさい)の名で知られる。大永7年(1527年)に生まれ、慶長11年(1606年)に80歳で亡くなった。上泉信綱から新陰流を受け継ぎ、徳川家康の前で「無刀取り」を見せて、子の宗矩を徳川家に仕えさせた。
3行でわかる柳生宗厳
- 大和の柳生庄の国衆で、筒井家・三好家・松永久秀らに仕えた
- 上泉信綱に敗れて弟子となり、新陰流の印可を受けた
- 家康に「無刀取り」を見せ、子の宗矩が徳川家の剣術指南役となった
目次
大和の国衆
宗厳は大和の柳生庄を治める柳生家に生まれた。大和は筒井家・三好家・松永久秀などが争う土地で、宗厳もそのときどきの実力者に従って生き残りをはかった。
上泉信綱との出会い
宗厳は若いころから剣術にすぐれていたが、上野から来た剣豪・上泉信綱と試合をして敗れ、その弟子となった。修行を重ねた宗厳は、信綱から新陰流の印可を与えられた。
信綱は宗厳に、刀を持たずに相手の刀を取る技を工夫するよう課題を与えたといわれる。宗厳はこれを「無刀取り」として完成させたと伝わる。
家康への無刀取り
宗厳は、豊臣秀吉の時代に隠田(届け出ていない田)が見つかったとして領地を失った。文禄3年(1594年)、宗厳は京で徳川家康に招かれ、木刀を持った家康を素手で制する「無刀取り」を見せた。
家康は感心して宗厳を召し抱えようとしたが、宗厳は高齢を理由に辞退し、子の宗矩を推薦した。宗矩はのちに将軍家の剣術指南役となり、柳生家は大名にまでなった。
柳生宗厳をめぐる人物
- 師:上泉信綱
- 子:柳生宗矩
- 孫:柳生利厳(兵庫助、尾張柳生)
- 仕えた相手:筒井順慶/松永久秀/徳川家康
ゆかりの地
- 柳生の里(芳徳寺・正木坂道場)(奈良市柳生町):柳生家の本拠。芳徳寺に柳生一族の墓がある
- 一刀石(奈良市柳生町・天石立神社):宗厳が天狗と思って斬ったと伝わる割れた大岩


上泉信綱
柳生宗矩
徳川家康
松永久秀
筒井順慶







































