とよとみ ひでかつ
| 地域 | 東海(美濃)・近畿(丹波) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣氏(秀吉の養子) |
| 大名家 | 豊臣家 |
| 家紋 | 五七桐 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 若き一門大名 |
豊臣秀勝(とよとみ ひでかつ)は、豊臣秀吉の甥で、のちに秀吉の養子となった武将である。幼名から「小吉秀勝」とも呼ばれる。永禄12年(1569年)に生まれ、文禄元年(1592年)に24歳で亡くなった。浅井三姉妹の三女・お江の二番目の夫で、美濃の岐阜城主となったことから「岐阜宰相」とも呼ばれる。
3行でわかる豊臣秀勝
- 秀吉の姉・とも(日秀)の子で、豊臣秀次の弟、豊臣秀保の兄
- 信長の子で秀吉の養子だった羽柴秀勝(於次)の死後、その名と領地を継いだ
- お江と結婚して岐阜城主となったが、朝鮮出兵中に巨済島で病死した
目次
二人の「秀勝」
秀吉には「秀勝」という名の養子が何人かいた。最初は秀吉の実子とされる石松丸秀勝、次は織田信長の四男で秀吉の養子となった羽柴秀勝(於次秀勝)である。於次秀勝が天正13年(1585年)に亡くなると、甥の小吉がその名と丹波亀山の領地を継いだ。これがこのページの秀勝である。
秀勝は、秀吉の姉・とも(日秀)と三好吉房の次男で、兄に豊臣秀次、弟に豊臣秀保がいる。
お江との結婚と岐阜城
秀勝は、浅井長政とお市の方の三女・お江(崇源院)と結婚した。お江は淀殿の妹で、秀勝との間に娘の完子が生まれている。完子はのちに公家の九条家に嫁いだ。
領地は丹波亀山から甲斐などを経て、天正19年(1591年)ごろ美濃の岐阜城主となった。官位は参議(宰相)に進み、「岐阜宰相」と呼ばれた。
朝鮮出兵と若すぎる死
文禄元年(1592年)、文禄の役(朝鮮出兵)が始まると、秀勝は軍をひきいて海を渡った。しかし同じ年の9月、朝鮮半島南岸の巨済島で病にかかり、24歳で亡くなった。
秀勝の死後、お江は徳川秀忠と再婚した。もし秀勝が生きていれば、豊臣家の一門として秀頼を支える立場になったかもしれない。
豊臣秀勝をめぐる人物
- 実父・実母:三好吉房/とも(日秀)
- 養父:豊臣秀吉
- 兄弟:豊臣秀次(兄)/豊臣秀保(弟)
- 妻:お江(崇源院)
- 娘:豊臣完子(九条幸家の妻)
ゆかりの地
- 岐阜城(岐阜市):秀勝が城主となった城
- 亀山城跡(京都府亀岡市):はじめに継いだ丹波亀山の城


豊臣秀吉
お江
豊臣秀次
豊臣秀保
淀殿
徳川秀忠






































