濃姫 | 斎藤道三の娘で織田信長の正室。「帰蝶」の名と、謎に包まれたその後

濃姫のイラスト(イメージ)

のうひめ

地域東海(美濃・尾張)
所属勢力・属性斎藤氏→織田氏(信長の正室)
大名家斎藤氏
家紋二頭立波(斎藤道三)
主武器―
衣装・甲冑打掛
武将タイプ大名の正室

濃姫(のうひめ)は、美濃の戦国大名・斎藤道三の娘で、織田信長の正室となった女性である。「美濃から来た姫」という意味の呼び名で、本名は「帰蝶(きちょう)」と伝わる。尾張と美濃の和睦のしるしとして信長に嫁いだが、確かな史料にはほとんど姿を見せず、その後の生涯は謎に包まれている。

3行でわかる濃姫
  • 美濃の斎藤道三の娘。母は小見の方とされ、明智光秀とはいとこにあたるという説がある
  • 天文17〜18年(1548〜1549年)ごろ、尾張と美濃の和睦のため織田信長に嫁いだ
  • 子どもの記録はなく、早くに亡くなった説、離縁説、信長の死後も長く生きた説などがある
目次

尾張と美濃をつないだ結婚

濃姫の父・斎藤道三は、美濃の守護代家に仕えてのし上がった「美濃のマムシ」と呼ばれる人物で、尾張の織田信秀(信長の父)とたびたび戦っていた。両家は天文17〜18年ごろに和睦し、そのしるしとして道三の娘が信秀の嫡男・信長に嫁いだとされる。

「帰蝶」という名は、江戸時代の『美濃国諸旧記』などに見えるもので、同じ時代の史料で確かめられるわけではない。母の小見の方は明智氏の出とされ、そのため明智光秀とはいとこにあたるという説もある。

道三の最期と濃姫

弘治2年(1556年)、道三は息子の斎藤義龍と戦って長良川で討死した。道三は死の前に、美濃を婿の信長に譲るという書状を残したと伝わる。これはのちに信長が美濃を攻める大義名分の一つになったとされる。

信長は永禄10年(1567年)、義龍の子・斎藤龍興を破って美濃を手に入れた。濃姫にとっては、夫が実家の美濃を取ったことになる。

謎に包まれたその後

濃姫については、確かな史料に記録がほとんど残っていない。子どもがいた記録もなく、そのため、若くして亡くなったという説、子がないため離縁されたという説、本能寺の変で信長とともに亡くなったという説(創作の影響が大きい)など、さまざまな説がある。

近年は、信長の死後も「安土殿」と呼ばれる女性として生き、慶長17年(1612年)に亡くなったとする説も唱えられているが、確定はしていない。信長の妻や側室については「信長と秀吉の妻・側室を比較」でくわしく紹介している。

濃姫をめぐる人物

  • 夫:織田信長
  • 父:斎藤道三
  • 兄:斎藤義龍
  • 甥:斎藤龍興
  • いとことされる人物:明智光秀

ゆかりの地

  • 岐阜城(稲葉山城)(岐阜県岐阜市):父・道三の居城。濃姫が生まれ育ったとされる
  • 清須城(愛知県清須市):信長が尾張統一の拠点とした城
  • 常在寺(岐阜県岐阜市):斎藤道三の肖像画を伝える寺
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