かきざき よしひろ
| 地域 | 蝦夷 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 蠣崎氏第3代 |
| 大名家 | 蠣崎氏 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 北方実戦具足 |
| 武将タイプ | 堅実・守成 |
蠣崎氏第3代当主。父光広とともに松前の大館(徳山館)に拠り、安東氏から商船への課税権を得たとされる。アイヌの首長タナサカシやタリコナとの戦いを、和睦を装う策で制したと伝わる。家督は長男の季広が継いだ。
目次
父・光広と大館への移転
蠣崎義広(かきざき よしひろ)は蠣崎光広の子で、文明11年(1479)生まれとされる。蠣崎氏はもと上ノ国(現・北海道上ノ国町)を拠点としていた。永正11年(1514)、光広は松前の大館に拠点を移した。大館は徳山館とも呼ばれる。山川出版社『日本史小辞典』は、光広がショヤコウジ兄弟の蜂起の鎮圧を機に根拠地を移したと記す。
蠣崎氏は出羽の安東氏の代官という立場にあった。義広は家督相続の前から安東尋季に地位を認められ、来航する商船から運上(税)を取る権限を得たとされる。
アイヌとの戦い
義広は大永元年(1521)に家督を継いだとされる。この時期の道南では、アイヌと和人の戦いが繰り返されていた。
享禄2年(1529)、西部の首長タナサカシが蜂起した。義広は上ノ国の館を守り、和睦を申し入れて償いの宝物を館の前に広げた。アイヌ勢が宝物に気を取られた隙に櫓から矢を射かけ、撃退したと伝わる。天文5年(1536)には、タナサカシの娘婿タリコナを和睦の酒宴に招いて討ったとされる。これらの話は、松前藩が編んだ史書『新羅之記録』などに基づく。
季広への継承
義広の没後、長男の季広が家督を継いだ。季広は天文19年(1550)頃、東西のアイヌの首長と講和を結び、交易の秩序を整えた。これが後の松前藩による蝦夷地支配の基礎となる。義広の没年は天文14年(1545)とされる。
ゆかりの地
- 大館跡(松前町):永正11年以降の蠣崎氏の拠点。徳山館とも
- 勝山館跡(上ノ国町):大館移転前の蠣崎氏の拠点




















