しおのや よしつな
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 下野塩谷氏当主(宇都宮氏一門) |
| 大名家 | 下野塩谷氏 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 地方割拠・下野 |
下野国塩谷郡の川崎城(現在の矢板市)を居城とした塩谷氏の当主で、一般には塩谷義孝の名で知られる。宇都宮氏の一門として宇都宮氏から正室を迎えたが、那須氏側についた弟孝信と対立し、永禄7年に川崎城で孝信に殺害された。
目次
塩谷孝綱の嫡男
塩谷由綱(しおや よしつな)は下野国塩谷郡の国人、塩谷氏の当主である。一般には塩谷義孝の名で知られ、由綱を正式な名とする見方がある。生年は長享元年(1487)頃とされるが、異説もある。
父の孝綱は宇都宮正綱の四男で、途絶えた塩谷氏の名跡を継いだ。これにより塩谷氏は宇都宮氏の一門となり、孝綱は宇都宮氏の宿老として活動した。由綱は父の隠居により、永正11年(1514)以前に家督を継いだとされる。
宇都宮氏と那須氏の間で
塩谷郡は北で那須氏の領域に接していた。川崎城(現在の栃木県矢板市)は鎌倉時代初めに塩谷朝業が築いたと伝わる城で、那須氏との境を押さえる位置にある。由綱は当初、那須氏に対して優位を保っていたとされる。
由綱は宇都宮氏から正室を迎えた。一方、弟の孝信は那須氏の家臣大関氏から妻を迎えた。この婚姻の違いが、兄弟の不和の一因になったとされる。
川崎城での最期
永禄7年(1564)10月7日の夜、孝信は16騎を率いて川崎城に侵入した。城代の木村和泉が内応し、由綱は就寝中に孝信に殺害されたと伝わる。
その後、嫡子の義綱が援軍を得て川崎城を奪い返したとされる。義綱は文禄4年(1595)に豊臣秀吉から改易され、川崎城は廃城となった。
ゆかりの地
- 川崎城跡公園(矢板市):塩谷氏の居城跡。由綱が殺害された城。

















