ほしな まさなお
| 地域 | 甲信越(信濃・高遠) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 武田氏 → 徳川氏 |
| 大名家 | 保科家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 家をつないだ武将 |
保科正直(ほしな まさなお)は、信濃の高遠を本拠とした保科家の当主である。天文11年(1542年)に生まれ、慶長6年(1601年)に60歳で亡くなった。武田家に仕えたのち徳川家康の家臣となり、家康の異父妹を妻にむかえた。孫にあたる保科正之は二代将軍・徳川秀忠の子で、のちに会津藩の祖となった。
3行でわかる保科正直
- 「槍弾正」と呼ばれた保科正俊の子で、武田家に仕えた
- 武田家滅亡後、徳川家康に仕え、家康の異父妹・多劫姫を妻とした
- 保科家はのちに秀忠の子・保科正之を養子にむかえ、会津藩へとつながった
目次
武田家の家臣
正直の父・保科正俊は「槍弾正」と呼ばれた武田家の猛将だった。正直も武田家に仕え、高遠城の守りなどにあたった。
徳川家康に仕える
天正10年(1582年)に武田家が滅ぶと、正直は徳川家康に従い、高遠城を取り戻した。家康は正直を信頼し、異父妹(於大の方の娘)の多劫姫を妻として与えた。
保科正之へ
正直の跡を継いだ子の保科正光は、二代将軍・秀忠の子・幸松を養子にむかえた。これがのちの保科正之で、三代将軍・家光を支え、会津藩23万石の藩主となった。会津藩松平家のはじまりである。
保科正直をめぐる人物
- 父:保科正俊(槍弾正)
- 妻:多劫姫(徳川家康の異父妹)
- 子:保科正光
- 正光の養子:保科正之(徳川秀忠の子)
ゆかりの地
- 高遠城跡(高遠城址公園)(長野県伊那市):保科家の居城
- 建福寺(長野県伊那市高遠町):保科家ゆかりの寺


徳川家康
武田勝頼
徳川秀忠







































