あさひひめ
| 地域 | 東海(尾張・駿河) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣氏(秀吉の妹)、徳川家康の正室 |
| 大名家 | 豊臣家・徳川家 |
| 家紋 | 五七桐(豊臣家) |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 小袖・打掛 |
| 武将タイプ | 政略結婚の姫 |
朝日姫(あさひひめ)は、豊臣秀吉と豊臣秀長の妹で、のちに徳川家康の正室となった女性である。名は「旭」とも書く。天文12年(1543年)に尾張で生まれ、天正18年(1590年)に京の聚楽第で亡くなった。兄・秀吉が家康を味方につけるため、44歳で家康に嫁いだ。
3行でわかる朝日姫
- 秀吉・秀長の妹で、尾張の農家に生まれた
- 天正14年(1586年)、兄の政略で夫と離れ、44歳で徳川家康の正室となった
- 駿府で「駿河御前」と呼ばれたが、母の看病のため京に戻り、48歳で亡くなった
目次
秀吉の妹として
朝日は、秀吉・秀長と同じく大政所(なか)の子である。兄の出世にともない、朝日も武家の妻となった。最初の夫の名は佐治日向守、副田甚兵衛などと伝わり、はっきりしない。
家康への輿入れ
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いのあと、秀吉は家康を戦いで屈服させることができず、外交で臣従させようとした。そこで秀吉は、すでに夫のいた妹の朝日を離縁させ、天正14年(1586年)に家康の正室として嫁がせた。このとき朝日は44歳だった。
それでも家康が上洛しなかったため、秀吉はさらに母の大政所まで岡崎に送った。家康はようやく上洛し、大坂城で秀吉に臣従した。朝日の結婚は、豊臣と徳川をつなぐための政略結婚だった。
駿河御前
家康の妻となった朝日は、浜松城、のちに駿府城で暮らし、「駿河御前」と呼ばれた。天正16年(1588年)、母の大政所が病気になると、看病のために京へ戻った。
その後、朝日は駿府に戻ることなく、天正18年(1590年)正月、聚楽第で亡くなった。48歳だった。同じ年、家康は秀吉の命で関東に移っている。京都の東福寺の塔頭・南明院に墓がある。
朝日姫をめぐる人物
- 母:大政所(なか)
- 兄:豊臣秀吉/豊臣秀長
- 姉:とも(日秀)
- 夫:徳川家康
ゆかりの地
- 南明院(東福寺)(京都市東山区):朝日姫の墓所
- 瑞龍寺(静岡市葵区):朝日姫の供養塔がある寺
- 駿府城(静岡市葵区):「駿河御前」として暮らした城


豊臣秀吉
豊臣秀長
大政所
徳川家康





































