せんごく ひでひさ
| 地域 | 甲信越(信濃小諸)/四国(讃岐) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣氏→徳川氏 |
| 大名家 | 仙石氏 |
| 家紋 | 永楽銭 |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 具足に陣羽織 |
| 武将タイプ | 七転び八起きの猛将 |
仙石秀久(せんごく ひでひさ)は、美濃出身の武将で、豊臣秀吉の古くからの家臣である。天文21年(1552年)に生まれ、慶長19年(1614年)に亡くなった。讃岐の大名にまで出世したが、九州攻めの戸次川の戦いで大敗して領地を取り上げられた。小田原征伐で手柄を立てて返り咲き、信濃小諸の大名となった。
3行でわかる仙石秀久
- 美濃の出身。若くして秀吉に仕えた古参の家臣で、淡路・讃岐の大名となった
- 天正14年(1586年)、九州攻めの先陣の軍監として戸次川の戦いで島津軍に大敗し、改易された
- 小田原征伐で奮戦して許され、信濃小諸5万石の大名に返り咲いた
目次
秀吉の古参の家臣
秀久は、秀吉が長浜城主になったころからの家臣で、各地の戦で働いた。四国攻めのころには淡路の洲本を任され、天正13年(1585年)の四国攻めのあとは讃岐の大部分を与えられた(「四国攻めをわかりやすく解説」参照)。
戸次川の大敗
天正14年(1586年)、秀吉は島津に攻められた大友宗麟を助けるため、四国の大名たちを先に九州へ送った。秀久はその軍監(軍のまとめ役)となったが、豊後の戸次川で、秀吉本隊の到着を待たずに島津軍と戦い、大敗した。この戦いで長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親や十河存保が討死し、秀久は讃岐へ逃げ帰った。秀吉は怒り、秀久の領地を取り上げた(「九州征伐をわかりやすく解説」参照)。
小田原で返り咲く
天正18年(1590年)の小田原征伐で、秀久は浪人の身ながら徳川家康の口ぞえで加わり、目立つ陣羽織を着て奮戦したと伝わる。その働きで許され、信濃の小諸5万石を与えられた。関ヶ原の戦いでは家康方につき、仙石家は江戸時代も大名として続いた。
仙石秀久をめぐる人物
- 主君:豊臣秀吉/徳川家康
- 戸次川でともに戦った武将:長宗我部元親/長宗我部信親/十河存保
- 戦った相手:島津家久
ゆかりの地
- 小諸城跡(懐古園)(長野県小諸市):秀久が城と城下町を整えた城の跡
- 戸次川古戦場(大分県大分市):秀久が大敗した戸次川の戦いの地










































