三好義継 | 三好長慶の跡を継いだ三好家最後の当主。信長の妹婿から反信長へ、若江城で自害

三好義継のイラスト(イメージ)

みよし よしつぐ

地域近畿(河内)
所属勢力・属性三好氏(当主)
大名家三好氏
家紋三階菱に釘抜
主武器太刀
衣装・甲冑直垂に具足
武将タイプ名門の若き当主

三好義継(みよし よしつぐ)は、畿内に大きな力を持った三好長慶の養子で、三好家の当主となった人物である。天文18年(1549年)ごろに生まれ、天正元年(1573年)に亡くなった。将軍・足利義輝を討った永禄の変に加わり、のちに織田信長に従って信長の妹を妻に迎えたが、やがて信長に背き、河内の若江城で自害した。

3行でわかる三好義継
  • 十河一存の子で、伯父の三好長慶の養子となり、永禄7年(1564年)に家督を継いだ
  • 永禄8年(1565年)、三好三人衆らとともに将軍・足利義輝を討った(永禄の変)
  • 信長の上洛後は信長に従ったが、のちに足利義昭と結んで背き、天正元年(1573年)に若江城で自害した
目次

長慶の跡継ぎとして

義継の父は、長慶の弟で「鬼十河」と呼ばれた十河一存である。長慶の実子・義興が亡くなったため、義継が養子となり、永禄7年(1564年)に長慶が亡くなると家督を継いだ。若い当主を、三好三人衆や松永久秀が支える形だった。

永禄の変と三好家の分裂

永禄8年(1565年)、義継は三好三人衆や松永久通らとともに、京の将軍・足利義輝を襲って討った(永禄の変)。その後、三好三人衆と松永久秀が争うようになり、義継は三人衆から離れて松永方についた。

信長に従い、そして背く

永禄11年(1568年)に信長が足利義昭を連れて上洛すると、義継は信長に従い、河内の北半分を任された。信長の妹を妻に迎えたとされる。

しかし、義昭と信長の仲が悪くなると、義継は義昭方につき、信長に背いた。天正元年(1573年)、追放された義昭をかくまったこともあって、信長の軍に若江城を攻められ、自害した。これにより、畿内を支配した三好本家は途絶えた(「信長と秀吉は降伏した敵をどう扱ったか」参照)。

三好義継をめぐる人物

  • 養父:三好長慶
  • 父:十河一存
  • 支えた重臣:三好三人衆/松永久秀
  • 従い、のちに背いた相手:織田信長
  • 結んだ相手:足利義昭

ゆかりの地

  • 若江城跡(大阪府東大阪市):義継が最期を迎えた城の跡
  • 飯盛城跡(大阪府大東市・四條畷市):三好長慶が本拠とした城
  • URLをコピーしました!

ほかの武将も見る

目次