金箔瓦とは?秀長の屋敷跡から出た金の瓦|安土城・大坂城・聚楽第・大和郡山城・松本城、豊臣政権の「見せる」しるし【豊臣兄弟!第41回】

夕日を受けて軒先の金箔瓦が輝く大坂城そばの屋敷と、それを見上げる大名の一行のイメージイラスト

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第41回「家康の野望」では、上洛した家康を迎えた秀長の屋敷が大きな舞台になりました。番組の最後には、秀長の屋敷跡とされるいまの大阪城・西の丸広場から、金箔瓦が見つかっていることも紹介されました。金箔瓦とは、どんな瓦なのでしょうか。この記事では、金箔瓦が使われた城と屋敷を一覧にして、信長・秀吉の時代に金の瓦が何を意味したのかを整理します。

先に答え

金箔瓦とは、軒先の丸瓦などの文様に金箔を貼った瓦です。織田信長が安土城で使ったのが始まりとされ、豊臣秀吉の大坂城・聚楽第・伏見城などで大々的に使われました。

金箔瓦は、だれでも使えるものではありませんでした。秀吉は、身内や信頼する大名の城や屋敷に限って使わせたと考えられており、金箔瓦は「豊臣政権の一員である」ことを示すしるしでもありました。

秀長の屋敷跡や大和郡山城から金箔瓦が見つかっていることは、秀長が豊臣政権の中で特別な立場にあったことを物語っています。

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目次

金箔瓦とは何か

瓦の多くは灰色の焼き物ですが、金箔瓦は、軒先の丸瓦や平瓦の文様の部分に漆を塗り、その上に金箔を貼ったものです。遠くから見ると、屋根の端が金色に輝いて見えました。

おもしろいのは、金箔の貼り方に時代のちがいがあることです。信長の安土城などでは、文様のくぼんだ部分に金箔を貼る瓦が多く見つかっています。一方、秀吉の時代の城では、文様の盛り上がった部分に金箔を貼る瓦が多くなります。金箔瓦の出土は、その城がいつ、だれの時代に整えられたのかを知る手がかりにもなっています。

金箔瓦が見つかった主な城と屋敷

城・屋敷築いた人・使った人ポイント
安土城(滋賀県)織田信長金箔瓦の始まりとされる。天主の屋根を金で飾った
大坂城(大阪府)豊臣秀吉天下人の本拠。屋根の瓦に金箔をふんだんに使った
秀長の屋敷跡(大坂城・西の丸あたり)豊臣秀長弟の屋敷も金箔瓦で飾られていたことがわかる
聚楽第(京都府)豊臣秀吉天皇を迎えた豪華な邸宅。のちに秀次へゆずられる
伏見城(京都府)豊臣秀吉秀吉の晩年の居城
大和郡山城(奈良県)豊臣秀長秀長の100万石の本拠。金箔瓦が出土している
松本城(長野県)石川数正・康長徳川を出奔した数正が豊臣の大名として整えた城
肥前名護屋城(佐賀県)豊臣秀吉朝鮮出兵の拠点として築かれた城
大坂城の築城・石垣普請
大坂城の築城(イメージ)

金箔瓦は「豊臣の一員」のしるし

金箔瓦は、とても高価な瓦でした。秀吉は、金箔瓦を自分の城や屋敷だけでなく、身内や信頼する大名の城にも使わせたと考えられています。秀吉の天下統一が進むと、各地の豊臣方の大名の城から金箔瓦が見つかるようになります。金色に輝く屋根は、遠くからでも「この城の主は豊臣政権の一員である」と示す、目に見える看板でもあったのです。

なかでも興味深いのが、徳川家を出奔した石川数正の松本城です。数正は豊臣方の大名となり、松本城を整えました。そこから金箔瓦が見つかっていることは、数正が秀吉からしっかりと豊臣大名として扱われていたことを示しています。数正の出奔については石川数正の出奔とはでくわしく解説しています。

秀長の屋敷と大和郡山城の金箔瓦

秀長は、大坂城のすぐそばに屋敷を構えていました。第41回で家康を迎えた屋敷です。その屋敷跡とされる場所から金箔瓦が見つかっていることは、秀長の屋敷が兄・秀吉の城と同じ格式で飾られていたことを意味します。

桜と石垣、天守台を望む大和郡山城のイメージ画
大和郡山城のイメージ

また、秀長の本拠だった大和郡山城からも金箔瓦が出土しています。大和・紀伊・和泉の100万石を治めた秀長は、豊臣政権のなかで秀吉に次ぐ立場にありました。秀長の城づくりと領国経営は大和大納言・豊臣秀長|なぜ100万石を任され、どう大和を治めたのかでくわしく紹介しています。

大坂城と聚楽第 ― 金色に輝いた天下人の城

秀吉が天正11年(1583)から築いた大坂城は、黒い壁に金の飾りが映える豪華な城でした。天正14年に大坂城を訪れた大友宗麟は、その豪華さに驚いたと伝わります。のちに秀吉が京に築いた聚楽第も、金箔瓦で飾られていました。大坂城の築城は大坂城の築城をわかりやすく解説、聚楽第は聚楽第 ― 天下人・豊臣秀吉の栄華でどうぞ。

聚楽第
聚楽第(イメージ)

【考察】金箔瓦は「見せる政治」の道具だった

ここからは筆者の考えです。秀吉は、黄金の茶室や北野大茶湯のように、人に「見せる」ことで天下人の力を示した人物でした。金箔瓦も同じで、城や屋敷を訪れた人びとに、豊臣政権の豊かさと格式を一目でわからせる道具だったと考えます。

第41回で、家康が秀長の屋敷に迎えられたとき、その屋根が金色に輝いていたとすれば、家康は「秀長は秀吉と同じ格の人物だ」と感じたはずです。金箔瓦は、言葉を使わずに相手を圧倒する、豊臣の「見せる政治」そのものだったのではないでしょうか。

まとめ

金箔瓦は、瓦の文様に金箔を貼った豪華な瓦で、信長の安土城に始まり、秀吉の大坂城・聚楽第・伏見城などで大きく広まりました。秀吉は身内や信頼する大名にも使わせたと考えられ、金箔瓦は豊臣政権の一員であることを示すしるしでもありました。秀長の屋敷跡や大和郡山城から金箔瓦が見つかっていることは、秀長が兄と並ぶ特別な立場にあったことを物語っています。第41回の内容は第41回「家康の野望」あらすじと振り返りでどうぞ。

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