小笠原信浄 | 大浦三老の一人に数えられる津軽為信の重臣

おがさわら のぶきよ

地域東北
所属勢力・属性津軽家臣
大名家津軽氏
家紋―
主武器太刀
衣装・甲冑塗具足
武将タイプ重臣

小笠原信浄(伊勢守)は津軽為信の創業期に仕えた重臣である。森岡信元・兼平綱則と並び「大浦三老」の一人に数えられる。信濃の出身と伝わり、大鰐町に慶長4年没と刻む墓碑がある。出自や事績には伝承に頼る部分が多い。

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出自と為信への仕官

小笠原信浄は伊勢守を称した。読みは「のぶきよ」とされ、「信清」と書く資料もある。生年は不明である。

伝承では信濃の深志郷の出身という。天文年間に陸奥の南部領へ移り、明野与四郎と名乗ったとされる。天文22年(1553)ごろから大浦氏に仕えたと伝わる。大浦氏は津軽の豪族で、のちに為信が当主となり津軽氏を名乗った。

大浦三老と津軽統一

信浄は森岡信元・兼平綱則とともに「大浦三老」の一人に数えられる。為信を支えた古参の重臣という位置づけである。

為信は元亀2年(1571)、南部氏の一族で津軽の支配を担っていた南部高信を討った。これを皮切りに為信は津軽の諸城を攻め、南部氏から自立していった。信浄はこの時期の重臣とされるが、個々の合戦で果たした役割は確かな資料では確かめにくい。

天正18年(1590)、為信は豊臣秀吉に津軽の領有を認められ、南部氏からの独立を果たした。

晩年と墓碑

大鰐町居土には、信浄の墓碑とされる石碑がある。碑には慶長4年(1599)4月19日の日付と「大浦之老臣小笠原伊勢守信浄」の文字が刻まれる。この碑は昭和9年(1934)に子孫が建てたものである。

ゆかりの地

  • 居土の墓碑(大鰐町):慶長4年没と刻まれた、信浄の墓碑とされる石碑
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