由良国繁 | 上野の金山城主。北条家に城を奪われたが、母の妙印尼の奮戦で小田原征伐後も家を保った

由良国繁のイラスト(イメージ)

ゆら くにしげ

地域関東(上野・金山、常陸・牛久)
所属勢力・属性由良氏(上野の国衆)
大名家由良家(横瀬家)
家紋不詳
主武器―(采配)
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ国衆の当主

由良国繁(ゆら くにしげ)は、上野の金山城(群馬県太田市)を本拠とした由良家の当主である。天文19年(1550年)に生まれ、慶長16年(1611年)に62歳で亡くなった。北条家に城を奪われ、小田原征伐のさいには小田原城にいたが、71歳の母・妙印尼が兵をひきいて豊臣方に加わったことで、家を保つことができた。

3行でわかる由良国繁
  • 上野の金山城主・由良成繁の子
  • 上杉・北条の間で揺れ、のちに北条家に金山城を奪われた
  • 小田原征伐で母の妙印尼が豊臣方に加わり、常陸の牛久に領地を与えられた
目次

金山城主

由良家(もとは横瀬家)は、上野の新田家の家臣から力をつけた国衆で、国繁の父・由良成繁の代に金山城の城主となった。国繁は弟の長尾顕長とともに、上杉家と北条家の間で生き残りをはかった。

北条家に城を奪われる

天正12年(1584年)、国繁と弟の顕長は北条家に背いたが、北条軍に攻められて降伏し、金山城を明け渡した。

母・妙印尼の奮戦

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条家を攻めると、国繁は北条方として小田原城に入った。このとき71歳の母・妙印尼は、由良家を守るため自ら兵をひきいて前田利家の軍に加わり、豊臣方として戦った。

この働きが認められ、戦後、由良家は常陸の牛久(茨城県牛久市)に5千石あまりの領地を与えられた。

由良国繁をめぐる人物

  • 父:由良成繁
  • 母:妙印尼
  • 弟:長尾顕長
  • 従った相手:上杉謙信/北条氏政 → 豊臣秀吉

ゆかりの地

  • 金山城跡(群馬県太田市):由良家の居城。日本100名城
  • 牛久城跡(茨城県牛久市):由良家が戦後に入った城
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