下間頼旦 | 長島一向一揆の指揮官。織田信長軍の苛烈な囲い込み攻撃に対し、長島願証寺で最期まで抵抗し討死

しもつま らいたん

地域東海・近畿
所属勢力・属性本願寺家臣
大名家本願寺
家紋丸につるぎかたばみ
主武器大槍
衣装・甲冑僧威具足
武将タイプ勇猛・悲壮

長島一向一揆の指揮官。織田信長軍の苛烈な囲い込み攻撃に対し、長島願証寺で最期まで抵抗し討死。

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長島一向一揆の指揮官・下間頼旦

下間頼旦(しもつま らいたん)は、戦国期に強大な武力をもった本願寺(一向一揆)の指導者の一人で、伊勢長島の一向一揆を指揮した人物です。下間氏は、本願寺の重臣(坊官)を務めた一族で、各地の一揆を率いる立場にありました。

一向一揆の力

戦国期、浄土真宗(一向宗)の門徒たちは、各地で「一向一揆」を結成し、大名にも屈しない強大な武力をもつにいたりました。とりわけ長島願証寺を中心とする伊勢長島の一向一揆は、織田信長を大いに苦しめた強敵でした。

織田信長との死闘

織田信長は、この長島一向一揆に対して、幾度も攻撃を仕掛けました。下間頼旦は、一揆勢の指揮官として、信長の苛烈な囲い込み攻撃に対して徹底抗戦しました。信仰で結ばれた門徒たちの抵抗は凄まじく、信長は弟や多くの家臣を失うほどの損害を被りました。

長島の悲劇

しかし天正2年(1574年)、信長は長島を完全に包囲し、兵糧攻めと火攻めによって一揆勢を殲滅しました。下間頼旦も、この長島願証寺で最期まで抵抗して討ち死にしたと伝えられます。下間頼旦の生涯は、信仰を旗印に織田信長の大軍に抗した、長島一向一揆の指導者の姿を今に伝えています。

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