おく たつたね
| 地域 | 近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 松我家臣 |
| 大名家 | 松我 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 大槍 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・武骨 |
松永久秀に仕えた凄腕の刺客・武者。東大寺合戦等で前線に立ち、松永軍の武勇を支えた。
目次
大和の梟雄・松永久秀に仕えて
奥達種(おく さとたね)が仕えた松永久秀は、三好家の家臣から身を起こして大和一国を制し、「梟雄(きょうゆう)」と称された戦国屈指の策略家です。奥達種は、その松永軍の前線で戦った武者の一人と伝えられ、松永家の武勇を支えました。
東大寺をめぐる戦い
松永久秀の時代の大和では、三好三人衆との抗争など激しい合戦が相次ぎ、永禄10年(1567年)には東大寺をめぐる戦いで大仏殿が焼失するという大事件も起きています。奥達種のような松永方の武将たちは、こうした畿内の争乱の最前線に身を置いていました。
信長との関係と松永氏の最期
松永久秀はやがて織田信長に従いますが、二度にわたって背き、天正5年(1577年)、信貴山城で滅んだと伝えられます(名器・平蜘蛛の茶釜とともに果てたという逸話で名高い)。主家の劇的な滅亡は、これに仕えた家臣たちの運命をも大きく左右しました。
梟雄の家臣という生き様
奥達種の個人としての詳しい記録は多くを残していませんが、下剋上を体現した梟雄・松永久秀のもとで刃を振るった武者として、その名が伝えられています。主君とともに畿内の争乱を駆け抜けた、戦国の一武人の姿がそこにあります。

















