武田信豊 | 武田信繁の子で勝頼を支えた一門。武田家滅亡のさい小諸城で家臣に裏切られて自害

武田信豊のイラスト(イメージ)

たけだ のぶとよ

地域甲信越(甲斐)
所属勢力・属性武田氏(一門)
大名家武田家
家紋武田菱
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ一門の重臣

武田信豊(たけだ のぶとよ)は、武田信玄の弟・武田信繁の子で、信玄の甥にあたる武将である。天文18年(1549年)に生まれ、天正10年(1582年)に34歳で自害した。父・信繁が残した家訓は、もともと信豊のために書かれたものである。武田勝頼を一門として支えたが、武田家滅亡のときに家臣に裏切られて亡くなった。

3行でわかる武田信豊
  • 信玄の弟・武田信繁の子で、父から家訓を与えられた
  • 武田勝頼を一門の重臣として支え、外交にもたずさわった
  • 武田家滅亡のさい、逃れた小諸城で家臣に裏切られて自害した
目次

信繁の子

永禄4年(1561年)、父の信繁は第四次川中島の戦いで討死した。信豊はまだ十代前半で、父が書き残した99か条の家訓を受け継いだ。のちに父と同じく「典厩」と呼ばれた。

勝頼を支える

信豊は武田一門の中心として、従兄弟の武田勝頼を支えた。天正3年(1575年)の長篠の戦いにも加わって生きのびている。上杉景勝との同盟(甲越同盟)の交渉にもたずさわった。

小諸城での最期

天正10年(1582年)、織田軍が武田領に攻めこむと、信豊は勝頼と別れて信濃の小諸城(長野県小諸市)に逃れた。しかし城の守将だった下曽根浄喜に裏切られ、自害した。

武田信豊をめぐる人物

  • 父:武田信繁
  • 伯父:武田信玄
  • 従兄弟・主君:武田勝頼
  • 裏切った家臣:下曽根浄喜

ゆかりの地

  • 小諸城跡(懐古園)(長野県小諸市):信豊が最期を迎えた城の地
  • 典厩寺(長野市篠ノ井):父・信繁の墓がある寺
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