まつなが ひさひで
| 地域 | 近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 松永氏 |
| 大名家 | 松永氏 |
| 家紋 | 蔦 |
| 主武器 | 太刀・平蜘蛛茶釜 |
| 衣装・甲冑 | 高級具足 |
| 武将タイプ | 梟雄・不屈 |
松永久秀は出自の詳細が定かでないが、三好長慶に仕えて頭角を現し、その卓越した実務能力と謀略の才によって急速に重用されるようになった人物である。長慶の下で畿内における三好政権の実権を掌握し、大和一国を任されるまでに出世を遂げた。
「戦国三大悪人」の一人に数えられることもあるほど、その半生には数々の謀略・下剋上の逸話が伝わる。将軍・足利義輝の暗殺への関与や、東大寺大仏殿を焼失させた戦い、主君筋にあたる三好家中での勢力争いなど、権謀術数を駆使して畿内に一大勢力を築き上げた。
築城の名手としても知られ、多聞山城や信貴山城を築き、天守の原型ともいわれる高層の櫓を備えた革新的な城郭建築を各地に残した。茶の湯にも深い造詣を持ち、名物茶器「平蜘蛛」を所有していたことでも知られる。
織田信長が上洛を果たすといち早くこれに臣従し、家臣として遇されるが、後に二度にわたって信長に反旗を翻す。最初の謀反では降伏を許されるが、1577年の二度目の謀反に際しては信貴山城に籠城して抗戦し、追い詰められる中で、名物茶器「平蜘蛛」に爆薬を仕込んで自らともども爆死したという壮絶な最期が伝えられている。
この劇的な最期は後世の創作によって誇張された面もあるとされるが、権謀術数に長け、二度までも信長に叛いてなお処断を免れかけたその老獪さは、戦国屈指の梟雄としての評価を不動のものとしている。近年の研究では、将軍暗殺や大仏殿焼失への直接関与を疑問視する見解も出されるなど、その実像をめぐる議論は今なお続いている。

