おおた うじすけ
| 地域 | 関東(武蔵・岩付) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 太田氏(北条家に従う) |
| 大名家 | 太田家 |
| 家紋 | 桔梗 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 父と別の道を選んだ当主 |
太田氏資(おおた うじすけ)は、武蔵の岩付城主・太田資正の長男である。天文11年(1542年)に生まれ、永禄10年(1567年)に26歳で討死した。北条家と戦い続ける父と対立し、父を城から追い出して北条家に従った。北条氏康の娘を妻とし、北条方として戦ったが、三船山合戦で殿(しんがり)をつとめて討死した。
3行でわかる太田氏資
- 「反北条」をつらぬいた太田資正の長男
- 永禄7年(1564年)、父を岩付城から追い出して北条家に従った
- 北条軍として上総に出陣し、三船山合戦で里見軍と戦って討死した
目次
父を追放する
父の太田資正は、上杉謙信と結んで北条家と戦い続けた。しかし永禄7年(1564年)、第二次国府台合戦で里見家とともに北条家に大敗したあと、氏資は父が城を留守にしたすきに岩付城を押さえ、父を追い出した。氏資は北条家に従い、北条氏康の娘を妻にむかえた。
三船山合戦
永禄10年(1567年)、北条氏政の軍が上総に攻めこみ、氏資もこれに加わった。三船山合戦で北条軍は里見義弘に敗れ、氏資は退却する味方を守る殿をつとめて討死した。26歳だった。
氏資の死で岩付太田家は跡継ぎを失い、のちに北条家の一門が岩付城に入った。
太田氏資をめぐる人物
- 父:太田資正
- 弟:梶原政景
- 妻:北条氏康の娘
- 討たれた戦い:三船山合戦(里見義弘)
ゆかりの地
- 岩槻城跡(岩槻城址公園)(さいたま市岩槻区):氏資の居城
- 三船山(千葉県富津市・君津市):氏資が討死した合戦の地


太田資正
北条氏康
梶原政景
太田道灌







































