朝倉義景 | 一乗谷に京文化を花開かせた越前の最後の当主

あさくら よしかげ

地域北陸
所属勢力・属性朝倉氏
大名家朝倉
家紋三つ盛木瓜
主武器太刀
衣装・甲冑公家風具足
武将タイプ文化人・優柔

朝倉義景は越前国を治めた朝倉氏の第11代(最後の)当主である。祖父・孝景以来の分国法「朝倉孝景条々」に基づく統治を引き継ぎ、本拠・一乗谷には京の公家や文化人が数多く身を寄せ、北陸随一の文化都市として栄えた。

将軍候補であった足利義昭を一時的に庇護したが、上洛の要請には応じず、後に義昭は織田信長を頼ることとなる。信長との関係が悪化すると、浅井長政や本願寺勢力などと結んで信長包囲網を形成し、姉川の戦いなどで対峙した。

しかし1573年、織田軍の攻勢により一乗谷を放棄せざるを得なくなり、逃避行の末に従兄弟の朝倉景鏡の裏切りにより自害に追い込まれた。これにより名門・朝倉氏は滅亡した。

文化面では大きな功績を残した義景であったが、軍事・外交面での決断の遅さが度々指摘され、戦国乱世を生き抜くことができなかった大名の一人として評価されている。

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