さの まさつな
| 地域 | 関東(下野・唐沢山) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 佐野氏(下野の国衆) |
| 大名家 | 佐野家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 山城の守り手 |
佐野昌綱(さの まさつな)は、下野の唐沢山城(栃木県佐野市)を本拠とした佐野家の当主である。享禄2年(1529年)に生まれ、天正2年(1574年)に46歳で亡くなった。関東に出陣した上杉謙信と北条家の間で何度も従う相手を変え、謙信の攻撃をたびたび退けた。
3行でわかる佐野昌綱
- 下野の唐沢山城を本拠とした佐野家の当主
- 上杉謙信と北条家の間で、従う相手を何度も変えた
- 謙信に何度も唐沢山城を攻められたが、城を守り抜いたと伝わる
目次
唐沢山城
佐野家は下野南部の名族で、昌綱は険しい山の上に築かれた唐沢山城を本拠とした。この城は守りがかたく、関東七名城のひとつにも数えられる。
謙信との攻防
永禄3年(1560年)に上杉謙信が関東に出陣すると、昌綱は謙信に従ったり、北条家についたりをくり返した。謙信は唐沢山城を何度も攻めたが、昌綱は城を守り抜き、最後は降伏して許されたと伝わる。
関東の国衆が上杉と北条という二つの大きな勢力にはさまれ、生き残りのために必死だった様子がよくわかる人物である。
佐野昌綱をめぐる人物
- 戦い、また従った相手:上杉謙信/北条氏康
- 子:佐野宗綱
ゆかりの地
- 唐沢山城跡(唐沢山神社)(栃木県佐野市):昌綱の居城。関東七名城のひとつ


上杉謙信
北条氏康
北条氏政







































