豊臣家– tax –

尾張の百姓の家に生まれたとされる羽柴(豊臣)秀吉が、織田信長に仕えて一代で築いた家。本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀を討ち、清洲会議と賤ヶ岳の戦いを経て織田家中の主導権を握った。1585年に関白となり、翌年には朝廷から「豊臣」の姓を賜っている。
四国・九州を平定し、1590年の小田原征伐と奥州仕置で全国統一を完成させた。太閤検地や刀狩で中世の土地制度と身分のあり方を大きく変えた一方、晩年の朝鮮出兵は大きな負担を残した。
家臣団には、加藤清正・福島正則ら幼い頃から育てた子飼いの武将と、石田三成ら政務を担う奉行衆がいた。秀吉の死後に両者の対立が表面化し、関ヶ原の戦いへとつながっていく。秀頼は摂津・河内・和泉の一大名となり、1615年の大坂夏の陣で豊臣家は滅亡した。弟の秀長は家中の調整役として重きをなし、その早すぎる死が政権の行方に影を落としたともいわれる。

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