今川家– tax –
足利将軍家の一門で、駿河の守護を務めた家。今川氏親は遠江を手に入れ、分国法「今川仮名目録」を定めた。
氏親の子義元は、兄弟と争った花倉の乱を経て家督を継ぐと、太原雪斎の補佐を受けて三河まで支配を広げ、「海道一の弓取り」と称された。武田・北条と甲相駿三国同盟を結んで背後を固めたが、1560年、尾張へ進んだ桶狭間の戦いで織田信長に討たれた。
跡を継いだ氏真の代には、武田信玄と徳川家康に東西から攻められ、1569年に戦国大名としての今川家は滅んだ。氏真はその後、家康の庇護を受けて生き延びている。
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今川氏真 | 国を失っても生き抜いた義元の子。和歌と蹴鞠に通じ、家康の庇護で江戸時代まで生きた
今川氏真は今川義元の子。桶狭間の戦いのあと家臣の離反が続き、永禄12年(1569年)に掛川城を家康に明け渡して戦国大名としての今川氏は滅んだ。その後は北条氏や家康を頼り、和歌や蹴鞠に通じた文化人として慶長19年(1614年)まで生きた。 -
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太原雪斎 | 今川義元を支えた「黒衣の宰相」。花倉の乱から三国同盟まで今川家の全盛を築いた禅僧
太原雪斎(崇孚)は臨済宗の僧で、今川義元の師であり側近。花倉の乱で義元を当主に立て、甲相駿三国同盟の成立などに力を尽くした。弘治元年(1555年)に亡くなった。 -
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寿桂尼 | 今川氏親の正室で義元の母。今川家の女戦国大名として政務を取り仕切り、外交工作や内政を指揮した稀代の女性
じゅけいに 地域東海 所属勢力・属性今川氏 大名家今川氏 家紋丸に三ツ引き 主武器外交書状・数珠 衣装・甲冑尼僧衣 武将タイプ「女戦国大名」・知謀 今川氏親の正室で義元の母。今川家の「女戦国大名」として政務を取り仕切り、外交工作や内政を指揮した... -
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三浦義就 | 今川家臣。笠寺砦の守将、桶狭間で討死
三浦義就は駿河今川氏の家臣で、通称は左馬助である。今川義元の命で尾張の笠寺砦の守将を務め、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで討死したとされる。事績を伝える史料は少なく、生年も分かっていない。 -
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松井宗信 | 今川家臣・二俣城主。桶狭間で義元とともに討死
松井宗信は今川氏の家臣で、遠江二俣城の城主。今川氏輝・義元・氏真に仕え、三河の田原城攻めで今川義元から感状を受けたと伝わる。永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで本陣の前方に布陣し、義元とともに討死した。 -
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新野親矩 | 今川家臣、幼い井伊直政を守った井伊家の恩人
にいの ちかのり 地域遠江国城東郡新野(静岡県御前崎市) 所属勢力・属性今川氏家臣(井伊氏の目付家老) 大名家今川家 家紋― 主武器刀 衣装・甲冑当世具足 武将タイプ目付・調整型 新野親矩は、通称を左馬助といい、今川氏に仕えた遠江国新野の領主であ... -
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岡部元信 | 桶狭間の戦い後、主君義元の首級と引き換えに鳴海城を開城。のち武田家に仕え高天神城で討死するまで戦い抜いた
おかべ もとのぶ 地域東海 所属勢力・属性今川・武田系 大名家今川 家紋丸に三ツ引き 主武器大槍 衣装・甲冑黒塗重厚具足 武将タイプ名将・義烈 桶狭間の戦い後、主君義元の首級と引き換えに鳴海城を開城。のち武田家に仕え高天神城で討死するまで戦い抜い... -
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関口氏広 | 今川一門の関口家当主、築山殿(家康正室)の父
せきぐち うじひろ 地域駿河国(静岡県) 所属勢力・属性今川氏一門・重臣 大名家今川家 家紋― 主武器― 衣装・甲冑戦国期の具足 武将タイプ一門衆・外交 関口氏広は、今川氏の一門である関口家の当主で、徳川家康の正室築山殿の父である。名は親永・義広と... -
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朝比奈泰能 | 今川氏3代に仕えた重臣、遠江掛川城主
あさひな やすよし 地域遠江(静岡県西部) 所属勢力・属性今川家臣(重臣) 大名家今川氏 家紋― 主武器刀・槍 衣装・甲冑当世具足 武将タイプ宿老・城代型 朝比奈泰能は、戦国時代の今川家の重臣である。遠江の掛川城主として、今川氏親・氏輝・義元の3代... -
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朝比奈泰朝 | 今川家の重臣、掛川城で今川氏真を守った城主
あさひな やすとも 地域遠江国(静岡県) 所属勢力・属性今川家臣・掛川城主 大名家今川氏 家紋― 主武器槍 衣装・甲冑当世具足 武将タイプ主家に尽くした忠臣 朝比奈泰朝は、今川氏の重臣で遠江の掛川城主である。桶狭間の戦いのあとも今川氏真を支え、武... -
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今川義元 | 海道一の弓取りと称され桶狭間に散った東海の太守
いまがわ よしもと 地域東海 所属勢力・属性今川氏 大名家今川 家紋足利二つ引 主武器太刀・輿 衣装・甲冑公家風具足 武将タイプ海道一の弓取り 今川義元とは 今川義元(いまがわ よしもと)は、駿河・遠江・三河の三か国を領し、東海地方に一大勢力を築い...
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