戦国ブログ– category –
戦国時代の合戦や人物を掘り下げるブログ記事
-
戦国ブログ
織田信雄—「無能」と呼ばれる次男の実像|小牧・長久手と単独講和の真相
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、その言動に厳しい声が相次いでいる人物がいます。織田信雄(おだ のぶかつ)—織田信長の次男です。「無能」「ポンコツ」とまで評されることもある信雄ですが、はたして本当にそうだったのでしょうか。彼の生涯を史... -
戦国ブログ
豊臣秀次(三好信吉)とは|四国攻めで戦い関白を継ぐも悲劇の最期を遂げた秀吉の甥
豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)は、天下人・豊臣秀吉の甥であり、一時は秀吉の後継者として関白の座を継いだ人物です。若き日は三好信吉(みよし のぶよし)と名乗り、四国攻めで戦うなど武将として歩みはじめましたが、最後は秀吉との関係が崩れ、悲劇的... -
戦国ブログ
豊臣秀吉の関白就任と「豊臣」賜姓をわかりやすく解説|なぜ将軍でなく関白を選んだのか
天下統一へと突き進む羽柴秀吉は、天正13年(1585年)、武家ではなく公家の最高位である関白(かんぱく)に就任し、翌年には朝廷から「豊臣(とよとみ)」という新しい姓を与えられました。農民出身とも伝えられる秀吉が、いかにして貴族社会の頂点に立ち... -
戦国ブログ
千利休—わび茶を大成した茶聖、秀吉との対立と切腹の謎
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代、天下人・豊臣秀吉のかたわらで、絶大な影響力をもった一人の茶人がいました。千利休(せんの りきゅう)—「わび茶」を大成し、後世に「茶聖」と仰がれた人物です。堺の一商人から天下一の茶人へと登りつめ、し... -
戦国ブログ
戸次川の戦いをわかりやすく解説|仙石秀久はなぜ島津に大敗したのか — 釣り野伏せ・長宗我部信親の討死
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で描かれる九州征伐。その緒戦で、豊臣方が手痛い大敗を喫した戦いがありました。戸次川(へつぎがわ)の戦いです。軍監・仙石秀久の無謀な采配によって、四国の勇将たちが次々と散ったこの悲劇の一戦を、史実にもとづ... -
戦国ブログ
長宗我部兄弟—四国を統一した元親と、支えた弟たち
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で描かれる四国攻め。その舞台・四国を、ひとつにまとめ上げようとした一族がありました。長宗我部(ちょうそかべ)氏です。土佐の小さな国人から身を起こし、四国のほぼ全域を制するにいたったその快進撃は、当主・元... -
戦国ブログ
山崎の戦いをわかりやすく解説|秀吉はなぜ光秀に勝てたのか — 天王山・池田恒興・三日天下
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」—本能寺の変と中国大返しに続く、豊臣兄弟の天下取りの「初戦」が、この山崎の戦い(やまざきのたたかい)です。主君・織田信長を討った明智光秀を、羽柴秀吉が討ち果たした一戦。勝負を分けた「天王山」の名は、いま... -
戦国ブログ
清須会議—秀吉が根回しで織田家の主導権を握った日
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、兄・豊臣秀吉が天下人への階段を一気に駆け上がる転機—それが清須会議(きよすかいぎ)です。刀ではなく「話し合い」で織田家の主導権を握ったこの会議は、秀吉の政治家としての凄みがよく表れた一幕でした。この... -
戦国ブログ
中国大返しをわかりやすく解説|秀吉はなぜ約230kmを10日で戻れたのか — 高松城の和睦・姫路城・山崎へ
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、兄・豊臣秀吉と弟・秀長が天下取りへと大きく舵を切る場面—それが中国大返し(ちゅうごくおおがえし)です。本能寺の変で主君・織田信長が斃れた報を、遠く備中で受けた秀吉。彼はそこから、約230kmもの道のりをわ... -
戦国ブログ
本能寺の変をわかりやすく解説|明智光秀はなぜ信長を討ったのか — 動機の諸説・中国大返し・三日天下
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」—兄・豊臣秀吉と弟・秀長が、地方の一部将から天下人へと駆け上がっていく物語。その運命を一変させた、たった一度の凶変があります。本能寺の変(ほんのうじのへん)。主君・織田信長が、家臣・明智光秀の謀反によっ... -
戦国ブログ
墨俣一夜城—豊臣兄弟・出世のはじまり、木下藤吉郎の伝説の砦
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」—兄・豊臣秀吉と弟・秀長の物語を語るうえで、その「出世のはじまり」を象徴する舞台があります。墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)。まだ木下藤吉郎と名乗っていた若き日の秀吉が、たった一夜で城を築いてみせたと... -
戦国ブログ
豊臣秀長の誕生と若き日—農民の弟が兄・秀吉に仕えるまで
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で主人公として描かれる豊臣秀長(とよとみ ひでなが)。のちに「大和大納言」と呼ばれ、兄・秀吉の天下取りを支えた名補佐役として知られますが、その原点は尾張の小さな村で稲を見つめていた一人の農家の青年でした... -
戦国ブログ
根白坂の戦いをわかりやすく解説|豊臣秀長はどう島津を破ったのか — 高城の包囲・夜襲・九州平定
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で主人公・豊臣秀長を語るうえで、絶対に外せない一戦があります。根白坂の戦い(ねじろざかのたたかい)—秀長が総大将として全軍を指揮し、九州の雄・島津を打ち破った、生涯最大の勝ち戦です。兄・秀吉の留守を守る... -
戦国ブログ
大坂城の築城をわかりやすく解説|秀吉はなぜ天下人の巨城を築いたのか — 諸大名を動員した石垣普請と黄金の城
天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いに勝った羽柴秀吉は、石山本願寺の跡地に、途方もない城を築きはじめた。大坂城である。諸大名を動員し、巨石を海を越えて運び、金箔瓦と黄金の茶室で飾った、まさに天下人の城だった。それは戦うための砦であると同時に... -
戦国ブログ
小田原征伐をわかりやすく解説|秀吉はなぜ石垣山に一夜城を築いたのか — 北条氏の滅亡と天下統一の完成
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は二十万ともいわれる大軍で、関東の雄・北条氏を攻めた。小田原城を幾重にも囲み、見下ろす山にはひと晩で城が現れたかのように見せる — 世に名高い「石垣山一夜城」である。これで北条方の戦意は挫かれ、五代百年にわたる北... -
戦国ブログ
忍城の水攻めをわかりやすく解説|石田三成はなぜ「浮き城」を落とせなかったのか — 日本三大水攻めと、のぼうの城
天正18年(1590年)、武蔵の低湿地に浮かぶ小さな城が、天下の大軍を相手に持ちこたえた。石田三成が全長28キロメートルの堤で囲み、水を引き込んでも沈まなかった城 — 忍城、またの名を「浮き城」である。備中高松・太田城とならぶ日本三大水攻めの一つで... -
戦国ブログ
大和大納言・豊臣秀長|なぜ100万石を任され、どう大和を治めたのか — 郡山城主となった名補佐役の領国経営
『豊臣兄弟!』登場人物の官位早見表|秀長はなぜ「大和大納言」?天正13年(1585年)、豊臣秀吉の弟・秀長は、大和・紀伊・和泉のおよそ110万石をあたえられ、大和郡山城の主となった。従二位・権大納言に叙され、人はこれを「大和大納言」と呼ぶ。兄を助... -
戦国ブログ
太田城の水攻めをわかりやすく解説|秀吉はなぜ紀州を水攻めにしたのか — 日本三大水攻めと豊臣秀長の紀州平定
天正13年(1585年)の春、紀伊の平野が一面の濁水に沈んだ。羽柴秀吉が、紀州平定の最後の抵抗拠点である太田城を、全長七キロにおよぶ長大な堤で囲み、紀の川の水を引き込んで水びたしにしたのである。備中高松城、武蔵の忍城とならんで「日本三大水攻め... -
戦国ブログ
豊臣秀吉と徳川家康|二人のライバルはなぜ全面決戦を避けたのか ― 小牧・長久手から臣従、天下人交代まで【関係図つき】
戦国乱世の最終盤、天下をめぐって二人の巨人が向き合った。一代で農民から天下人へと駆け上がった豊臣秀吉と、三河の小大名から出発し、最後には二百六十年の泰平を築いた徳川家康である。この二人は、時に刃を交え、時に手を結び、互いを意識し続けた生... -
戦国ブログ
織田信長の子どもたちをわかりやすく解説|信忠・信雄・信孝・徳姫…天下人の子に生まれた者たちの運命【子ども図つき】
天下統一を目前にして本能寺に斃れた織田信長。彼は多くの子をもうけ、その子どもたちは、父の遺した巨大な勢力を継ぐ立場に置かれた。しかし、天下人の子として生まれることは、栄光であると同時に、過酷な運命の始まりでもあった。嫡男は父と同じ日に燃... -
戦国ブログ
織田信長の兄弟をわかりやすく解説|信行・信包・有楽斎…十数人きょうだいの生涯とその最期【兄弟図つき】
戦国の風雲児・織田信長。その圧倒的な個性の陰で、彼にはじつに多くの兄弟がいたことは意外と知られていない。父・織田信秀は多くの子をもうけ、信長には十数人の男の兄弟と、多くの姉妹がいたとされる。彼らのある者は信長を支え、ある者は家督をめぐっ... -
戦国ブログ
九州征伐をわかりやすく解説|秀吉はなぜ島津義久を降したのか — 根白坂の戦いと豊臣秀長
九州統一を目前にした島津氏 戦国時代も終盤にさしかかった1586年の九州では、薩摩から興った島津氏が破竹の勢いで北へと版図を押し広げ、名門大友氏を豊後一国にまで追い詰めて、いままさに島全体の統一を成し遂げようとする緊迫の局面を迎えていたのであ... -
戦国ブログ
四国攻めをわかりやすく解説|秀吉はなぜ長宗我部元親を屈服させたのか — 総大将・豊臣秀長の采配
四国へと押し寄せる豊臣の大船団—瀬戸内海を埋め尽くした渡海のイメージ 四国をめぐる大戦、四国平定とは何か 1585年(天正13年)に繰り広げられた四国攻めは、四国のほぼ全域をその手に収めて西国屈指の大勢力へと成長していた長宗我部元親に対し、天下統... -
戦国ブログ
小牧・長久手の戦いをわかりやすく解説|秀吉と家康が唯一激突した戦い — 戦術の家康・戦略の秀吉
戦国屈指の両雄が唯一交えた一戦 天正十二年(1584年)、後に天下人となる羽柴秀吉と、江戸幕府を開いて二百六十余年の泰平を築く徳川家康という二人の英傑が、生涯でただ一度だけ正面から干戈を交えた合戦こそが、尾張から美濃一帯を主戦場とした小牧・長... -
戦国ブログ
賤ヶ岳の戦いをわかりやすく解説|柴田勝家はなぜ羽柴秀吉に敗れたのか — 中入り・美濃大返し・賤ヶ岳七本槍
天下人の座を賭けた、雪解けの決戦 天下統一を目前にした織田信長が家臣明智光秀の謀反によって京の本能寺に斃れたのは1582年のことであり、その突然すぎる死は巨大な権力の空白を織田政権にもたらしたのである。 ▶ 動画で見る:賤ヶ岳の戦いを地図でわか... -
戦国ブログ
前田利家はなぜ賤ヶ岳で秀吉についたのか|友情と義理のはざまの決断
清須の路地裏から始まる物語 — 二人の若武者がまだ何者でもなかった頃 天下人となった豊臣秀吉と、加賀百万石の祖・前田利家。後世の私たちは彼らをすでに完成された巨人として眺めがちだが、二人の付き合いの出発点は、そんな輝かしい肩書きとはまるで無... -
戦国ブログ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」ゆかりの地めぐり|豊臣秀長の足跡をたどる大和郡山・和歌山・尾張
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台を歩くという楽しみ 二千二十六年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、天下人の弟として兄を支えた豊臣秀長を主人公に描く物語で、俳優の仲野太賀さんが主演を務めると伝わります。これまで脇役として語られがちだった秀長に...
