大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描かれる豊臣秀長。その大和・紀伊の大国を、経済と物流の面から支えた家臣の一人に、吉川平介(きっかわ へいすけ/平助とも)がいる。船と材木を握り、秀長の屋台骨を担った有能な実務家。しかし、その「材木」こそが彼の命取りとなった。秀長を支え、そして非業の死を遂げた平介の生涯をたどる。
秀長の実務を担った男 ― 船奉行と熊野山奉行
天正13年(1585年)ごろ、平介は豊臣秀長の家臣となった。所領は7千石。その職掌は、紀伊湊から伊勢大湊にいたる海運を差配する「船奉行」と、森林資源の豊かな熊野の材木を管理する「熊野山奉行」であった。もともと水軍にも通じた実務家で、紀伊・大和を治める秀長の支配を、海運と材木という二つの要から支える、まさに屋台骨のような存在だった。
海を渡す差配 ― 大軍を運ぶ兵站
秀長が総大将として臨んだ四国攻めでは、大軍を海の向こうへ渡すための船が不可欠だった。紀伊の湊を握り、海運と造船をつかさどる船奉行という役職は、こうした大規模な渡海作戦の兵站を支える要である。木を伐り出し、船を仕立て、兵と物資を運ぶ——華々しい合戦の裏には、平介のような実務家の地道な差配があった。
熊野の山と、二万本の材木
平介の最大の財源は、熊野の山であった。良質な木材を豊富に産する熊野を管理する立場は、莫大な富を生む。彼は熊野の山から二万本もの材木を伐り出し、大坂へ送って売りさばき、多額の利益を上げていたと伝わる。天下人の時代、材木は城や町を築くための、まさに戦略物資だったのである。

材木事件 ― 「過分」の売上が招いた破滅
だが、この材木の商いが平介の運命を暗転させる。『多聞院日記』は、平介が材木の売却で「過分」な利益を得ていたことが問題視された、と伝える。売り方に豊臣秀吉が容認できない点があったとされ、横領・不正の疑いがかけられた。天正16年(1588年)12月5日、平介は奈良・西大寺で処刑される。秀長の懐刀ともいうべき実務家の、あまりにあっけない最期だった。
秀長に影を落とした事件
平介の事件は、主君・秀長にとっても小さからぬ痛手だった。信頼する家臣の不正は、秀長自身の管理責任をも問われかねない危うさをはらむ。病がちであった秀長の晩年に影を落とした出来事の一つとして、この材木事件は記憶される。有能さゆえに大きな富に触れ、その富に足をすくわれた——平介の生涯は、天下人のもとで実務を担う者の、光と影を映している。
大河が描く、もう一人の実務家
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、平介を松岡広大が演じる。華やかな合戦や政争の陰で、船と材木という「地味だが不可欠な仕事」を担った男が、いかに栄え、いかに散ったか。秀長の大和統治や、その死の物語とあわせて平介の生涯を追うと、豊臣政権を裏で支えた実務家たちの世界が、いっそう立体的に見えてくるだろう。
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