2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で主人公・豊臣秀長を語るうえで、絶対に外せない一戦があります。根白坂の戦い(ねじろざかのたたかい)——秀長が総大将として全軍を指揮し、九州の雄・島津を打ち破った、生涯最大の勝ち戦です。兄・秀吉の留守を守る「縁の下の力持ち」として知られる秀長ですが、この日、彼は名実ともに大軍を率いる将として、天下統一の総仕上げを決定づけました。この記事では、九州征伐のクライマックスとなった根白坂の戦いを、史実にもとづいて追っていきます。
秀長、日向方面の総大将に
天正年間、九州では島津氏が破竹の勢いで勢力を広げ、大友・龍造寺を圧倒して九州統一に王手をかけていました。これを抑えるため、天正15年(1587年)、秀吉は20万を超えるとも言われる大軍を動員して九州征伐に踏み切ります(九州征伐全体の流れは、あわせて「九州征伐をわかりやすく解説|秀吉はなぜ島津義久を降したのか」でくわしく紹介しています。本記事はその決戦・根白坂の戦いに焦点をあてます)。
このとき豊臣軍は二手に分かれて南下しました。兄・秀吉が肥後方面(西回り)を進む一方、弟・秀長は日向方面(東回り)の総大将として、約8万の軍勢を率いて島津の本国・薩摩を目指します。宇喜多秀家、小早川隆景、黒田孝高(官兵衛)、藤堂高虎、宮部継潤といった歴戦の将たちが、秀長の指揮下に置かれました。天下人の弟というだけでなく、これだけの大軍と名だたる武将たちを束ねられる器量が、秀長には備わっていたのです。
高城の攻防と、根白坂に築かれた砦
日向へ進んだ秀長軍は、島津方の拠点・高城(たかじょう)を包囲します。守るのは、かつて豊後の耳川で大友軍を撃破した猛将・島津家久。城の後詰(救援)に、島津義久・義弘の本隊も駆けつけてきました。
ここで秀長軍が取った策が、勝敗を分けます。彼らは高城を見下ろす要衝根白坂に付城(つけじろ/陣城)を築き、島津の後詰を正面から受け止める構えを取りました。この砦を任されたのが、宮部継潤(みやべ けいじゅん)。継潤は約1万の兵とともに、空堀や板塀を巡らせた堅固な防御陣地を築き上げ、島津軍の来襲に備えたのです。野戦の勢いに勝る島津に、真正面からぶつからず、築城と鉄砲で受け止める——秀長軍の周到な準備が、ここに整いました。
天正15年4月17日、島津の夜襲
天正15年(1587年)4月17日の夜半、事態が動きます。高城の包囲を破ろうと、島津義弘・家久らが率いる約3万5000の軍勢が、根白坂の砦めがけて夜襲を仕掛けたのです。闇にまぎれて坂を駆けのぼり、一気に豊臣方の陣を突き崩す——それは、少数で大軍を破ってきた島津の得意とする戦法でした。
しかし、この夜の相手は違いました。宮部継潤の砦は、空堀と板塀に守られた即席の要塞です。押し寄せる島津勢を、柵の内側から放たれる鉄砲の一斉射撃が次々となぎ倒していきます。冒頭の画のように、松明の灯る夜の斜面で、木柵越しに火を噴く鉄砲——それが根白坂の夜の光景でした。島津軍は決死の突撃を繰り返しますが、堅い守りをどうしても破れません。
守り抜いた砦、そして挟撃
島津の猛攻に、宮部隊は苦戦を強いられます。しかし秀長は、砦を孤立させませんでした。藤堂高虎らの救援部隊がすかさず駆けつけ、さらに小早川隆景・黒田孝高の軍勢が、攻めあぐねる島津勢を横合いから挟み撃ちにします。守りに徹して敵の勢いを削ぎ、頃合いを見て別働隊で包み込む——総大将・秀長の描いた戦いの絵が、そのまま現実になった瞬間でした。
夜を徹した激戦の末、島津軍は完敗。島津忠隣(ただちか)、猿渡信光ら、島津方の名だたる将が相次いで討ち死にし、その損害は甚大なものとなりました。九州最強を誇った島津の軍勢が、ここで完全に打ち砕かれたのです。
島津の降伏と、九州平定の完成
根白坂での敗北は、島津にとって決定的でした。もはや豊臣の大軍に抗う力は残されていません。同年5月8日、当主・島津義久は剃髪して「龍伯(りゅうはく)」と号し、秀吉に降伏します。これにより、島津の九州統一の夢は潰え、豊臣秀吉による九州平定が完成しました。天下統一まで、残すは関東の北条と奥州のみ——その最終盤への扉を開いたのが、この根白坂の一戦だったのです。
秀長、生涯最大の武功
根白坂の戦いは、豊臣秀長という武将の実像を最もよく物語る一戦です。兄・秀吉の補佐役、政権のまとめ役として語られることの多い秀長ですが、この日の彼は、8万の大軍と綺羅星のごとき武将たちを見事に統率し、九州最強の島津を降した「総大将」でした。派手な一騎打ちの武勇ではなく、周到な築城、鉄砲を活かした堅守、そして救援と挟撃の的確な差配——彼の勝ち方は、いかにも秀長らしい、堅実で盤石なものでした。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」においても、この根白坂は間違いなく序盤〜中盤の大きな山場となるでしょう。田んぼで稲を見つめていた尾張の青年が、いまや天下人の弟として九州平定を成し遂げる——その到達点のひとつが、この夜の勝利でした。秀長の生涯を追うとき、根白坂の名はぜひ覚えておきたい一戦です。
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